ダイズ

ダイズが死んだ。悲しい。約一年と九ヶ月一羽と一人で暮らしていたけどこんなに一人が静かだと思わなかった。私が泣く音と風の音だけが聞こえていたのに、今は風の音も聞こえない。

 

死んだと聞いてから後悔と忘れたくないって気持ちばかりがのたうち回ってる。最後手術の麻酔から覚めて一瞬目を開けてまたすぐ閉じてすごい苦しそうだった。タクシーに乗ってる時肩に顔を埋めてずっと寝ててまだ生きてるって思った。死んじゃうのが怖くて一晩起きて二時間ごとに生理食塩水を卵管に塗った。手に乗せて塗ってカゴに戻そうとしたらすごく強く私の指を掴んで戻らなくて6-8時の間は手に乗せて過ごした。ストーブの赤い明かりがダイズの膨らんだ毛に当たってなんだか最後に見る光で、死んじゃうみたいで悲しかったけど綺麗で今思うと幸せな時間だったと思う。

 

これからは朝、眠くてもダイズの布団を取らなくていいし、ピッピッピッピうるさくないし頭にもシーツにも糞されないし小松菜も買わなくていい。実家に帰る時新幹線じゃなくて夜行バスでも平気だし、薄暗いのが好きなのに目が見えにくいダイズのために少し暗いだけで電気をつけなくてもいい。服の中に入ってきて首も突かれないよ。

 

 

そんなことよりそんなことより本当はもっと一緒に生きていたかったな。布団で一緒に寝たかったし、遊びたかった。みかんをあげて小松菜をあげて水を変えて楽しそうに水浴びするダイズを見たかった。お腹が空いたらご飯を食べて嫌なことをされたら怒って好きなところに飛んでいく。生きることに迷いのない素直で美しい鳥をもっと見たかった。一緒に過ごしかった。この子がいるから死ねないなって思っていたかった。朝、この子のために起きていたかった。

 

ダイズの好きなもの。私、小松菜、みかん、スマホ、パソコン、水浴び、チャンネル、ユニクロのオレンジのフリース、イヤホンのコード、ティッシュ、ポテチ。もっと沢山あるかもしれないけど今は思い出せない。水色は怖くて大きな音も怖くて私の母親とは仲が悪かった。

もっと思い出せなくなったら嫌だな。忘れたくない。忘れたくない。

毛ざわり、怒った声、可愛い声、表情。私のせいで飛ぶのが下手になってしまったこと、翼のあげ方、美味しそうに水を飲む顔。抜けた羽を食べている顔。頭の掻き方。呼ぶとぴょんぴょん飛んできてくれたこと、鳴いてくれたこと。水浴び後のワイルドな頭、私を呼ぶ声、私が泣いてたら涙を飲んでくれたこと。

忘れたくない、忘れたくない。忘れない。

きっと忘れるけど忘れた頃にこれを読んで思い出せますように。

すごい雪の日だったよ。

 

大好きダイズ。与えられてばかりでありがとう。辛い思いをさせてごめんね、ごめんね。

天国で元気でいてね。いつかまた会おうね。

かわいいかわいいダイズ。

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最近全然写真撮ってなかった。もっと撮ってれば良かったな。昨日出さなきゃ良かったな。自分で治せたらよかったな。もっと早く病院に行けばよかった。一緒に連れて帰ればよかったな。病院から帰って安心して眠らなければよかった。

ダイズ

 

2021.12.13.14:57

思い出

 

深夜にスペインの刑務所のドラマを見ながらご飯を食べていて、何気なくラインを開いたら母から、母の母が亡くなったとラインが来ていた。電話した。

母から事情を聞いて、私は何か言葉にしないといけないと思っていても何を言ったらいいか分からなくて、スマホを強く握りながら息をするのが苦しかった。

人が死ぬって突然で悲しくてどうしようもないことだって、ドラマや小説で知っていて。なんならそういう、死を扱うドラマに慣れきっていて少しバカにもしていたのだけど。本当に突然でどうしようもなかった。だけど思った以上にそれは衝撃的で大きくて苦しくて。全然会えてなかった。おばあちゃんがさみしいの知ってた。もう会えない、のが悲しい。悲しいのに明日には行かないといけない場所、やらないといけないことがあって、平気なふりをしないといけないのが悲しくて泣いた。何より母が頼ることのできる存在がこの世からなくなってしまったようで悲しくて泣いた。

 

祖母についていちばん色濃く残っているのは、3年前に母が祖母と電話していた時。母は泣いていた。ドラマとかではびっくりするくらいすぐ泣く母だが、現実のことで泣いているところを私は見たことがなかった。その涙の理由は私が浪人して、第一志望に受からず他の受かった大学にも行かないと言ったからだ。

母が可哀想で大学に行くことにした。そして母の頼れる存在も、私と同じ母親なんだなと実感した。そんなこんなで、私は浪人していたんだけど、そんな自分に負い目というか恥ずかしくさや気まずさがあって、祖母に会わなくなった。そしてもしかしたらちょっとだけ、めんどくさかったのかもしれない。

 

おばあちゃんとの思い出の中できちんと言葉にできるものは少ない。子供の時はそうではなかったのだけど、成長するにつれて何を話していいか分からなくて、あんまり会話をしなかったと思う。ただいつも優しくて、なんとなく好きだった。私は自分で言うのもなんだけれど、絵が結構上手い。それは母もそうで(小学校に絵が飾ってあると今でも自慢してくる)、おばあちゃんもそうなのだ。

おばあちゃんは裁縫が得意で私が保育園生か小学生の時にポチ袋のようなものを作って渡してくれた。私はそれをお菓子袋にしていて持ち歩いていたのだけれど、最寄りの駅のデパートに行った帰りに無くしてしまって探したけど見つからなくて泣いたのを覚えてる。おばあちゃんのエピソードで好きなのは、蚊に刺され用のムヒを塗ったら、なぜかそこにだけ大量の毛が生えたというやつだ。正月におばあちゃんの家に行くと百人一首をした。妹はおばあちゃんのよく伸びる腕の皮が好きでよく触ってた。

角砂糖で甘くした紅茶、揺れる椅子、黒電話。両開きできる冷蔵庫。おばあちゃん用の座椅子。青いこたつ。

最後に会ったおばあちゃんは腰が結構曲がっていて、2本の杖を使って歩いてた。

 

母との電話が終わって、そのまま椅子に座りながら泣いて、ご飯の残りを食べて、ベッドに横になった。眠れないからなんとなく聞きたいと思った曲を聞いて、おばあちゃんの写真がもしかしたらあるかと思って、2018年から今日までのアルバムを見た。自分のカメラロールには友達との写真、母や妹、ペットの写真、授業の資料、好きなアイドル、食べ物や空や花の写真はあったけどおばあちゃんの写真はなかった。私の携帯にあったおばあちゃんとの記録は、四年前にインスタに上げたおばあちゃんと私と妹と母と食べに行った食べ放題の料理プレートと、受け取ってもらえたか分からない去年と一昨年の私からのお誕生日メールだけだった。(ちょうど今日が89歳の誕生日だった)会ってなかったのだから当然と言えば当然で、でもやっぱり悲しかった。私は私のことしか考えてなくて、もっと大切な人や物の事考えればよかったって思った。それと、おばあちゃんにもこんな風に、振り返ることができる思い出があったのかなと思った。私の好きなドラマのセリフに

“大切な思い出って支えになるしお守りになるし居場所になる“っていうのがあって。おばあちゃんについて話すのに人の言葉を借りるのは恥ずかしいんだけど。

それで、私はしることはできないけど、そういうものをおばあちゃんが沢山沢山持ってたらいいなと思うし、私もおばあちゃんのことをそうやって持って行けたらいいなと思う。

 

 

 

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おばあちゃん家に向かうお気に入りの道

 

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聞いた曲

 

 

 

 

 

 

良いカッコしいな人間だから前向きな感じでまとめたけど、本当は今日テストなのにずっと悲しくて泣いてて、眠れなくて朝7時にこの文章打ってます。

悲しいのは苦しい。けど、悲しみが薄れたり色んなことを忘れるのは嫌だなっと思います。

おわり!

 

 

7.4 7.6